2025年10月19日(日) 11:02 JST
ゲストユーザ: 古建築研究会
現在、茨城県ひたちなか市のひたち海浜公園に古民家が移築復元されています。
茨城県でも最も古いと思われる民家です。国の施設に移築され、将来も保存されるであろう
幸せな民家です。その裏には秘められた歴史が有ります。
昭和39年、東京オリンピックが開催され、日本も高度成長に時代に入り、茅葺きは古い、現代的な建築に
日本人は住むべきだとの風習の中、茅葺き民家は減少して行きました。
その中で、文化庁は昭和41年頃から全国の古民家調査に入りました。茨城県も43年に予算化され、
県内の調査が始まりました。その中で特に重要なものは国指定の重要文化財に指定され、保存されました。
と言うようにハッピーエンドの話であれば良いのですが、裏にはドロドロとしたものが。
全国で保存移築されている古民家のほとんどが庄屋や名主の家など高層農家の家がほとんどです。
当たり前の話なのですが多くの人に理解されません。理由はこういうことです。庄屋や名主の家は地域でも
中心になる家で家主は金をかけて、威厳の有る建物を建てるものです。材料も長持ちするものを使用し、
多くの人が集まれるように大型化された規模の大きい建築なのです。
当然、周辺には多くの農民の住む建築も建てられたでしょう。しかし、とりあえず住める建築であったり、
小規模の建築は材料も細く、痛み易いものを使用したでしょう。金をかけられない人達は安普請で我慢したのです。
そのような建築は残るでしょうか?。文化財の建築が名主クラスの建築が多いのはこのような背景が有るからです。
さて、文化財に指定された民家の所有者も指定するまでに多くの苦労があったのです。この時代は廻りに
まだ多くの茅葺き民家があったのです。指定された建築の所有者は地域の有力者であったり、地域の豪族の子孫
なのです。その中で、本家は貧乏したから国から金をもらって、家を残すんだとか、国の金を使わなければ
残せないほど困ってるのだとの噂を立てられたのです。このような状況の中で所有者の承認を貰って残されたの
現在の重要文化財の建築なのです。このような噂に耐えられずに壊された民家が多かったのも事実です。
茨城県の民家調査をした建築文化史家の一色史彦先生は貴重な民家の所有者に保存の大切なことを説明し、
文化財指定の承認を所有者から貰う努力をしました。所有者から承認を貰えなかった民家も多かったと言います。
そのような民家の所有者から建て替えるのだけれど貴重な民家なら貰ってくれないかと相談を受けて、身銭を切って
調査し、解体して材料を保存をしました。そのような民家が8棟にもなりましたがそれ以上は金もなくなり、
貴重な民家もなくなく廃棄されるのを見るだけだったと言います。
復元の目処が立たなかった頃、ひたち海浜公園で古民家を建てたいと言う噂が有り、所有している民家を復元
することを提案したのです。提案してから8年、やっと2軒の古民家が復元出来ました。
しかし、国土交通省の裏話を聴いてビックリしました。古民家を保存していた倉庫が30年近くなり、傷みが
酷くなり、解体しなければならなくなりました。国道交通省ひたち海浜公園の所長に相談しに行ったところ、
古民家は無償でいただき、一色先生には「有り難う』という言葉だけしかあげられませんというのです。
根拠はと聴くと、根拠は有りません、内規だけです、という話なのです。
倉庫の解体費は一色先生の個人の負担で400万かけて壊すそうです。中にある古民家の古材も風にさらされ、
廃棄状態になるということです。
茨城県でも最も古いと思われる民家です。国の施設に移築され、将来も保存されるであろう
幸せな民家です。その裏には秘められた歴史が有ります。
昭和39年、東京オリンピックが開催され、日本も高度成長に時代に入り、茅葺きは古い、現代的な建築に
日本人は住むべきだとの風習の中、茅葺き民家は減少して行きました。
その中で、文化庁は昭和41年頃から全国の古民家調査に入りました。茨城県も43年に予算化され、
県内の調査が始まりました。その中で特に重要なものは国指定の重要文化財に指定され、保存されました。
と言うようにハッピーエンドの話であれば良いのですが、裏にはドロドロとしたものが。
全国で保存移築されている古民家のほとんどが庄屋や名主の家など高層農家の家がほとんどです。
当たり前の話なのですが多くの人に理解されません。理由はこういうことです。庄屋や名主の家は地域でも
中心になる家で家主は金をかけて、威厳の有る建物を建てるものです。材料も長持ちするものを使用し、
多くの人が集まれるように大型化された規模の大きい建築なのです。
当然、周辺には多くの農民の住む建築も建てられたでしょう。しかし、とりあえず住める建築であったり、
小規模の建築は材料も細く、痛み易いものを使用したでしょう。金をかけられない人達は安普請で我慢したのです。
そのような建築は残るでしょうか?。文化財の建築が名主クラスの建築が多いのはこのような背景が有るからです。
さて、文化財に指定された民家の所有者も指定するまでに多くの苦労があったのです。この時代は廻りに
まだ多くの茅葺き民家があったのです。指定された建築の所有者は地域の有力者であったり、地域の豪族の子孫
なのです。その中で、本家は貧乏したから国から金をもらって、家を残すんだとか、国の金を使わなければ
残せないほど困ってるのだとの噂を立てられたのです。このような状況の中で所有者の承認を貰って残されたの
現在の重要文化財の建築なのです。このような噂に耐えられずに壊された民家が多かったのも事実です。
茨城県の民家調査をした建築文化史家の一色史彦先生は貴重な民家の所有者に保存の大切なことを説明し、
文化財指定の承認を所有者から貰う努力をしました。所有者から承認を貰えなかった民家も多かったと言います。
そのような民家の所有者から建て替えるのだけれど貴重な民家なら貰ってくれないかと相談を受けて、身銭を切って
調査し、解体して材料を保存をしました。そのような民家が8棟にもなりましたがそれ以上は金もなくなり、
貴重な民家もなくなく廃棄されるのを見るだけだったと言います。
復元の目処が立たなかった頃、ひたち海浜公園で古民家を建てたいと言う噂が有り、所有している民家を復元
することを提案したのです。提案してから8年、やっと2軒の古民家が復元出来ました。
しかし、国土交通省の裏話を聴いてビックリしました。古民家を保存していた倉庫が30年近くなり、傷みが
酷くなり、解体しなければならなくなりました。国道交通省ひたち海浜公園の所長に相談しに行ったところ、
古民家は無償でいただき、一色先生には「有り難う』という言葉だけしかあげられませんというのです。
根拠はと聴くと、根拠は有りません、内規だけです、という話なのです。
倉庫の解体費は一色先生の個人の負担で400万かけて壊すそうです。中にある古民家の古材も風にさらされ、
廃棄状態になるということです。
ゲストユーザ: 小水流
古材の流通市場も存在しているようなので。
売ればそれなりの金額になり、資材として活きもするはずですけど。
業者を探して見積もって頂いて金額を提示されたら良いような。
ゲストユーザ: 小水流
ちょっと聞いてみたところ。
民家保全についてはこちらの団体が詳しいようです。
日本民家再生協会
http://www.minka.or.jp/
相談されてはどうでしょうか?
ゲストユーザ: 古建築研究会
茨城県は古民家の宝庫です。現在でも茅葺き民家が多く残っています。
民俗学者の柳田國男が茨城県利根町に移り住んだ時に自分の実家は日本でも最も小さい家だといっています。
柳田國男が見た茨城の民家はいずれも大きく立派なものが多かったのです。しかし、関東と関西では住み方が
違うのです。関東では特に茨城では多くの民家が屋敷林を作り、その中に家を建てるのです。東海道新幹線で
集落の作り方が静岡県辺りから違ってきます。関西の方では一つの集落が多くの家で出来ている場合が多いよ
うです。特に京都の美山町のように集落を見ると多くの茅葺きを見ることが出来ます。茨城の農村集落では茅
葺き農家が固まってみることは出来ません。茨城県でも石岡市八郷地区には現在でも60棟くらいの茅葺き建
築が有りますがよく探さないと見つけることが出来ません。多くが屋敷林の中に有り、屋敷地に入らないと茅
葺き建築が見られないのです。
トタンを被っている農家も多く、その中には結構古い様式をもったものを見ることが出来ます。建築文化的
に古くて貴重なものは柱も細く、梁も小さいものが多いようです。茨城県は地震の被害が少なかったため、細
い柱でも残ったのかもしれません。茨城県内では柱が太くなり、梁が大きくなると時代が下がります。太い大
黒柱が有れば明治時代と見て間違い有りません。
古材が再利用されることと、古民家が建築文化に貴重であることとは別問題と思います。そのことを知った
上で利用したい考えてくれる人はいるでしょうか。
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